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東京高等裁判所 昭和55年(う)781号 判決 1982年2月22日

裁判所書記官

斉藤茂雄

本店所在地

埼玉県戸田市大字下笹目九〇五番地の一

秋元産業株式会社不動産部

右代表者代表取締役秋元清

本店所在地

同市笹目南町三六番一五号

有限会社秋茂産業

右代表者取締役

秋元茂治

本籍・住居

同市大字美女木三二五二番地

会社役員

秋元清

昭和五年四月二七日生

右三名に対する法人税法違反各被告事件について、昭和五五年三月一二日浦和地方裁判所が言い渡した判決に対し、各弁護人からそれぞれ控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官隈井光出席のうえ審理をし、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人田辺恒貞、同神保国男、同田島久嵩連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官河野博名義の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

所論は、要するに、各被告人に対する原判決の量刑がいずれも重過ぎて不当である、というのである。

そこで、調査すると、本件は、被告人秋元清がいずれも不動産業を目的とする被告人秋元産業株式会社不動産部の代表者、被告人有限会社秋茂産業の実質上の経営者として、両会社の業務全般を統括していたところ、両会社の業務に関し、不正の方法により所得の各一部を秘匿したうえ、(イ)被告人秋元産業株式会社不動産部の昭和五一年九月三〇日を決算日とする事業年度の実際所得二億五〇四七万二九一六円を二五二四万四一一六円と申告し、正規の法人税一億六二二五万八一〇〇円と申告税額との差額一億三七七六万四〇〇〇円を免れ、(ロ)同会社の昭和五二年九月三〇日を決算日とする事業年度の実際所得一億二五八五万七二二一円を三二四三万三八七五円と申告し、正規の税額八二四九万三五〇〇円と申告税額との差額五九一九万六六〇〇円を免れ、(ハ)被告人有限会社秋茂産業の昭和五三年二月二八日を決算日とする事業年度の実際所得一億二五四九万四三〇三円を三五四万九五〇三円と申告し、正規の税額七四四二万五二〇〇円と申告税額との差額七二七五万二七〇〇円を免れたという事案であるが、右各被告会社の脱税額が合計二億六九七一万二七〇〇円にも達する高額であること、各事業年度の所得秘匿率が平均八七・八パーセント、ほ脱税率が平均八四・五パーセントであることのほか、関係証拠によれば、右各被告会社がほとんど被告人ひとりの営業活動で成り立ち、両会社の営業区分もあいまいな個人的企業であるのに、これを二個の法人としたため税法上有利な立場にいたこと、本件における不正の方法が単に確定申告時のみの一時的措置ではなく、日常的にかつ用意周到に計画実行された悪質なものであること、すなわち、被告人は、各被告会社の巨額の所得を秘匿するため、全く不動産取引に関与していない霜田四郎、浅井隆次ら六名をして、あらかじめ高額の仲介手数料を受領した旨の架空領収証多数を作成させ、これを各確定申告にあたり提出しているが、その架空仲介手数料の金額の合計が六億八〇〇〇万円余にも上ること、右架空仲介手数料の各支払応当日ころこれに見合う金額を各被告会社の公表預金口座から払い戻して受領者名義で設定された預金口座に振り込み、この受領者名義の口座から引き出すときには同人らから寸借した形式の書類を整えていたこと、しかも、被告人はこれら仮装受領者をして架空金額に見合う所得の確定申告をさせ、その際の係官の質問に対する答弁や資料をも準備し、被告会社の所得秘匿を確実にする手段を講じていたこと、被告人が簿外資産を隠すため、多数口の仮名預金を設定するほか、簿外資産を用いて裏契約の不動産取引の支払をしたりするときには、知人らから借財した形にし、同金額を同人らの預金口座から払い戻させ、ひそかにこれを別の口座に移させるなどの緻密な工作をしていたこと、脱税の嫌疑をかけられるや、被告人は一年余りにわたり多数の関係人に働きかけて通謀し、徹底した罪証隠滅の工作を実行していたことが認められる。所論は、被告人の負担した霜田ら仮装受領者の納税額約一億六〇三〇万円を考慮すれば実質上のほ脱税率が低くなる旨主張するが、仮装受領者名義の納税は、被告会社の確定申告の正当性を主張するための手段であり、脱税の罪証隠滅工作の一環としてなされたものとみるほかなく、これを正当な納税とみることができないのみならず、被告人や無資産の霜田・浅田には、もともと仮装確定申告の税額を完納する意思がなく、初めから徴税不能にいたることを予定していたこと、現に国税局の本件査察開始前における仮装受領者名義の納税額が約一九七一万円でその税額に比し僅少であることが認められるから、所論の右納税の事実が被告人らにとって、必ずしも有利な事情であるとはいえない。そして、前記諸点及び脱税の行為が国家等の財政基盤を侵触する行為であるばかりでなく、担税力に応じて公平に納税義務を負う他の国民の租税均衡負担の利益を侵害する反社会的利己的な行為であることに照らせば、被告人ら、特にその実行者である被告人秋元清の刑事責任は、極めて重いものといわなければならない。してみると、被告会社が他の関連会社とともに修正申告をし、昭和五〇年九月三〇日決算期の分も含めて、各被告会社分法人税本税の全額、これに対する重加算税・延滞税の各一部、地方税本税の全額、これに対する延滞税の全額の合計五億七二五六万円余及び関連三会社の法人税・地方税の各全額三四一八万円余を支払い、付帯税の未払額約一億円も毎月三〇〇万円ずつ支払う計画が立てられていること、右納付のためこれまで蓄積した資産のかなりの部分を処分しかつ処分の予定であること、被告人秋元が昭和三六年の結婚を機にそれまでの多くの犯罪歴を清算して更生し、以来見るべき前科がないこと、その他被告人秋元の家庭の状況等所論の指摘する諸事情を十分に斟酌しても、被告人秋元産業株式会社不動産部を罰金三九〇〇万円に、同有限会社秋茂産業を罰金一四〇〇万円に、同秋元清を懲役二年、三年間刑の執行猶予に処した原判決の各量刑が重過ぎて不当であるとはいえないから、論旨は理由がない。

よって、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 杉山英巳 裁判官 浜井一夫)

○控訴趣意書

被告人 秋元産業株式会社不動産部

同 有限会社 秋茂産業

同 秋元清

右被告人等に対する法人税法違反被告事件の控訴の趣意は次のとおりである。

昭和五五年五月三一日

右主任弁護人 田辺恒貞

弁護人 神保国男

同 田島久嵩

東京高等裁判所第一刑事部

御中

原判決は量刑不当の違法があり破棄されるべきである。

原判決は、弁護人が弁論において主張した本件の諸情状をある程度考慮しながらも、ほ脱税額高額で且、ほ脱率も高いという表面的な点及び査察調査後も非協力であった点を把え、被告人秋元産業(株)不動産部を罰金三、九〇〇万円に、被告人(有)秋茂産業を罰金一、四〇〇万円に、被告人秋元清を懲役二年、執行猶予三年間に各処する旨の判決を言渡した。

この判決は余りに外形的事実を重視し過ぎたものである。後に述べる通りほ脱税率はその実質を観れば、三五%であり、ほ脱税率にしても、霜田・浅井両名分の税金として支払った一億六、〇〇〇万円を考慮すれば、実質は起訴の半額以下である。又査察調査後の非協力にしても、被告人秋元清はむしろ、霜田・浅井に引きずられた結果の行為である。

更に原判決は、被告人秋元清に対し、執行猶予付とはいえ、懲役刑を宣告しこの判決が確定すれば被告両会社は宅地建物取引業の免許取消処分を受けることになり、会社は解散する他はない。被告人秋元清個人としても、不動産取引業を行なえない結果となり、余りにも苛酷な判決である。

以下量刑不当の理由を原審の弁論要旨を骨子として詳述する。

一、実質上のほ脱税率及びほ脱額について

本件起訴対象の税額は合計約三億一、九一六万円、納付額は合計約四、九四五万円、ほ脱税額は合計二億六、九七〇万円である。これを単純計算すると、ほ脱率は約八五%と確かに高率である。しかし被告人等は、浅井隆次及び霜田四郎の両名の所得税として約一億六千万円を現実に納付している。

法人税、個人所得税の違いはあるにせよ国庫に入る金に違いはない。また右所得税の納付の大部分が国税の査察調査後の時期であったにせよ、納付された事実に相違はないのである。

そこで右法人税、個人所得税の納付額を合計すると、約二億九四五万円となり、実質上のほ脱税額は約一億九七九万円、実質上のほ脱税率は約三四・四%に過ぎない。

日本に於ける税務行政は各自の申告を採用し、不審な場合に税務署の調査により税務当局が査定した所得額、税額を各自が修正申告をするという形式を採っている。

そしてこの税務調査から修正申告に至る過程においては、税務当局と納税者との間で名目の如何にかかわらず実質税額をめぐって様ゝな駈引や妥協がなされているのは周知の事実である。そして脱税の大半がこの修正申告という名の下に処理されている。

これ等の現状を考えるとき、形式的なほ脱税額、ほ脱税率で悪質と決めつけるのは片手落であると言わざるを得ない。

二、本件脱税の動機について

被告人秋元清は、昭和三七年頃から不動産業を始め、骨身を惜しまず働き、朝四時頃から起きて農家を歩き、土地の売先を見付ける等尋常の者では真似の出来ない程の努力を重ねたうえ、他の業者では出来ない大規模且つ困難な地上げに創意工夫をもって取組み、農家の人達の先祖伝来の田畑を維持したいとの気持を汲みとり売地より広い代替地を提供するという方法を農地法三条の壁を乗りこえて考え出し、はては農家の嫁の世話等の便利屋的使い走りまでしながら、売主の農家の人達にも喜ばれながら、しかも農家の人達に対しても依頼会社に対しても一旦約束したら必ず実行するという誠実さをもって接し、文字通り粉骨砕身の努力を積み重ねて次ゝと成功させてきた。その結果、株式会社ロッテ、三洋電機株式会社等の大企業の信頼を勝ち得るに至った。(以上妻弘代及び被告人秋元清の公判廷に於る供述)その過程に於て昭和四八年一月に秋元産業株式会社不動産部を設立し、被告会社も急速に成長したが個人と企業の区別がはっきりしない状態であった。特に農家の人達に自社が購入した代替地を提供することにより被告会社は多額な利益を計上するようになった。

被告人秋元清がこのように馬車馬のごとく働き通してこれたのは、同人の次男克己に対する人に言えない深い愛情が支えであった。この次男は精薄児とまでもいかないまでも、中学三年生になっても小学校低学年程度の能力しかなく、小学校、中学校を通してずっと特殊学級で学んでいる状態である。(妻弘代及び被告人秋元清の公判廷に於る供述)

被告人秋元清は、常ゝこの子の行末を案じ少しでも多く財産を残し、人並の生活をさせたいという思いが募っていった。同被告人が克己の知恵遅れを知ってからは、急に金に対する執着心が強く汚くなるのが傍目にもはっきりと解る程であった。(秋元茂治の検察官に対する昭和五四年一〇月一一日付供述調書)

ところが租税特別措置法が昭和四八年四月二一日に施行され、同四九年四月一日から適用されるに至った。

同法第六三条はいわゆる土地重課であり、法人の土地譲渡益は分離課税となり、譲渡益の二〇%を税金として取られ、法人税(法人税、事業税、地方税を含め)五五%と合わせると、被告会社は利益の七五%の税金を徴収されるはめになった。骨身を惜しまず知恵を絞って一生懸命に働いた儲けのほとんどを税金として徴収され、克己に残せないという焦りが、被告人を脱税に追い込んだ潜在的な大きな要因である。

この様な気持でいる時に、被告人秋元清は、昭和四九年の春頃偶々浅井隆司のアパートに立寄ったところ、同人は勤め先の砂利販売業が倒産し、失業状態で金に困っている様子だったのに同情し、二〇~三〇万円の小遣いを与えたが、その際その金を被告会社の経費で落とすことを思いついた。そこで経費で落とすならあげた小遣いの五倍位の領収書を貰って落とそうという気になり、その旨の領収書を書いて貰ったのが、本件脱税の直接の動機である。

税金を徴収する国が、きめ細かな施策を施し、国民が安心して暮らせるような制度設備を整備してくれるならば、この様な脱税をすることはなかったであろう。しかし、税金のムダ使い、汚職が新聞紙上を相も変らず賑わし、国民の納税意欲を減退させているのが現状である。

三、脱税の手段方法について

原審に於て検察官は、本件脱税は用意周到で巧妙であり他に類を見ない程悪質であってその実は詐欺罪や強盗罪に近いものだと非難している。

しかし本件脱税の手段、方法は実に単純なもので、税務調査で簡単に疑いを持たれ見破られるものである。

即ち、物件の取引に際し浅井、霜田の両名に多い時で三千万円を超える莫大な金額の販売手数料を帳簿に計上し、しかも繰り返し右両名に支払われたように記帳されている。場合によっては、販売利益を超えかねない額が計上されている時もある。

素人が帳簿を見ても首をかしげる筈である。まるで両名の為に仕事をしているようなものであるし、又、不動産の販売手数料は取引額の一二%位であるのは一般の常識となっている。

担当の税理士もおかしいことは先刻承知していた筈である。

一般に脱税といわれるものはこんな簡単なものではなく、通常の税理調査では容易に発覚しないように帳簿上工作しているのが通常であり、本件より遥かに複雑巧妙なものである。

例えば、帳簿上から売上や仕入れそのものを一定量、定期的に除外したり、架空仕入の計上、架空原価を記帳し、しかも仕入先等を実在、架空を混在し多数分散して記帳し、少数特定にしない等の方法により、帳簿を丹念に点検しても容易に見破れないよう操作をしている。

本件はこれ等から比べれば初歩的且つ稚拙な方法である。又、検察官は架空販売手数料を計上したうえ、それと同金額を会社の普通預金から引出し相手方名義の普通預金に払込み、更に右預金から引出し自己において使用する際には相手方に架空の金銭借用証書を交付する等用意周到を極めていると非難するが、右に述べたように、帳簿上これだけはっきりと特定の人間に多額の販売手数料を払った形をとってしまえば、その後始末にこの程度のことをしなければ納まりがつかないことは誰もが考えつくことであり、税務の実務としては巧妙どころか単純極まりないものである。

ましてや、霜田、浅井両名に対し、実際に約一億五千万円以上もの金を与え、更に二人に替わって約一億六千万円もの税金を払い(起訴後の修正申告により約一億円還付されたが、その過程に於ては現実に支出している)合計すれば約三億二千万円以上もの金を現実に支出している。

因みに本件起訴額は合計二億六、九七一万三、三〇〇円であり、関連全五社の法人税の修正申告後の税額は合計三億八、六五五万六、六〇〇円である。

まともに申告しても、右税額であったのに、種々苦労して工作したうえ三億二、〇〇〇万円も使っている。

こんなに割の合わない拙劣な方法は他に類をみない。

以上の様に、本件の手段方法は一般の脱税事件に比べ決して悪質なものではなく、単純である。

四、犯行途中で一旦は止めようとしたが止められなかった事情

浅井、霜田の両名は小遣いが無くなると連れ立って秋元清宅を訪れ、領収書を書くから金を貸してくれ等と言いに来る様になった。両名とも秋元清の脱税に力を貸したという意識から同人の弱味を握っているという気持があり、金をせびりに来るという状態になった。(浅井の検察官に対する昭和五四年一〇月二〇日付供述調書)

領収証は被告人宅の応接間で書いて貰うことが多かったが、妻弘代は二人の出入りを嫌がったうえ、薄々仮空領収証のことを感じ、国税査察の約一年前である昭和五二年夏頃に、この様なことを止めるよう被告人秋元清にやかましく言うようになったので、同被告人はその頃浅井、霜田の二人に対し、もう止めようと話した。ところが二人は“社長そんなに弱気を起こすなよ、何かあったら俺達が責任を持つから”と言って止めさせようとしない為、そのまゝズルズルと続けてしまうことになった。(被告人秋元清の検察官に対する供述調書)

この点について、被告人は公判廷に於て、浅井、霜田にそれ以上強く言って止めたらそれ迄のことを全部言われてしまうのではないかという怖さから、それ以上言えなかったと供述している。

決して浅井、霜田の両名に責任をなすりつけるつもりはないが、この両名は、当時仕事らしい仕事もなく、良い金づるを捕まえたということで、被告人を離そうとはしなかったのである。

五、国税局の調査の際にも被告人は全てを明かそうとしたこと

霜田四郎の検察官に対する昭和五四年一〇月一一日付供述調書によると、同人は国税査察官から西川口税務署に於て初めて事情聴取を受けた当日、浅井隆司と落合った。そこへ秋元清もやってきて、秋元は“もう仕方ないから全部しゃべっていいよ”と言ったが、霜田は、俺は仲介手数料を受取っていると査察官に対し突張ってきたので今更正直に話す訳にいかないと主張し、浅井も四郎がそのように言っているなら俺も突張るよと言い出したので、結局秋元もじゃあ突張ろうかと言って否認することにしたとなっている。

この点については、浅井隆司の検察官に対する昭和五四年一〇月二〇日付供述調書によると、国税査察の際の最初の打合わせの時は一旦は全部認めてしまおうかという話になりかけたが、やはり仲介手数料を貰ったと言い張ろうということになったとの供述と符合する。

この時も被告人秋元清がもっと毅然とした態度をとっていたならばと悔まれるが、二人に突張ろうと言われると負い目のある秋元はそれに抗して自分から進んで告白する勇気が湧かなかったのである。

検察官は査察調査着手後も架空販売手数料支払いの相手方等に対して虚偽の供述をなすよう 慂し、非協力、挑戦的であったと非難するが、被告人は決してそのようなつもりではなかった。たゞ、三人で否認しようということになってしまった為、符節を合わそうとして、霜田、浅井の滞納税金を納める等の行動をしてしまったというのが真相である。

六、簿外資産について

大蔵事務官作成の簿外PL・BS調査書によると、被告会社等関連全五社の簿外資産が簿外損益(昭和四九年一〇月一日以降同五三年二月末日迄)より約一億五、八九六万円少ない。

これを悪意に解釈すると、被告人等が未だ資産を隠していたり、ギャンブル等に費消してしまったと把られかねない。

だが、同調査書を検討すると資産(財産)の部で、定期預金が仮名・実名合わせて二、五九五万円と極端に少なく見積られている。

しかし、埼玉銀行戸田支店調査関係書類(検察官請求番号一三五)中の秋元清及び同人家族名義定期預金取引明細表によると、秋元清がこの間に預金したもので昭和五三年二月末日迄に引出さなかった定期預金の合計額は約一億七一〇万円、同じ趣旨の妻弘代の定期預金の合計は約四、七二七万円であり、両者の合計は約一億五、四三七万円となる。その外に埼銀宮原支店の仮名定期預金が八五〇万円である。前記PL・BS調査書では、右定期預金のほとんどを簿外資産ではないと認定していることになるが、これは大いに疑問である。

又、関係者払い小遣いは右調査書では金一億四、三六七万円となっているが、被告人は霜田・浅井に小遣いをやる時に、実際にやった金額のメモ等を一切取っていないので、正確な額は解らないが、同人の検察官に対する昭和五四年一〇月一六日付供述調書によると一億六千万円から一億八千万円との記憶であり、霜田四郎の検察官に対する昭和五四年一〇月二五日付供述調書では霜田の分として年間約三千万円位で、全部で一億以上受取っていたとのことであり、右調査書の額は少な過ぎる。

又、被告人の当公判廷に於る供述によれば、これ程大規模な地上げ等の不動産取引を成功させるには、キャバレーや料亭等に於ての取引先に対する接待費に多額の費用がかゝるとのことで無理もない話である。多額の接待費が簿外資産を形成せずに費消されてしまっている点も見落せない事実である。

決してギャンブルやキャバレー等の遊興費に使ってしまったのではない。事実証人秋元正男・同秋元弘代の当公判廷に於る供述によると、秋元清は絶対に酒を飲まずキャバレー等で客を接待する時も自分はジュースを飲んでいる程であり、ギャンブル等にも一切手を出さない。その為、被告人の若い頃を知っている人達の間では、あの暴れん坊があんなに立直ったと評判を博している程である。

七、納税計画及び原審後の情状

被告会社等関連全五社の起訴後の修正申告後の税額は別紙の通りで合計約七億四、一一三万円である。

その内訳は法人税三億八、六五五万円、これに対する重加算税七、九五〇万円、過少申告加算税六〇七万円、延滞税五、九七一万円であり、その他に事業税七、五〇〇万円・県民税二、三〇〇万円・市民税四、六七七万円でこれに対する延滞税三、〇一九万円となる。

右の合計は七億六八三万八、四八四円であるが、この外に事業税・県民税に対する重加算税各々二、二五〇万円・六九〇万円、過少申告加算税三七五万円・一一五万円の合計三、四三〇万円が加えられる。(別紙五枚目の最下段に税率を記載してある)

この内、別紙の通り法人税全額と県民税・市民税の一部合計金四億三八四万二、六二〇円を原審弁論終結時迄に既に支払っている。

その後現在迄に市民税三、〇二三万三、四四〇円、県民税二、二六七万一、二一〇円、事業税七、四一九万五、四五〇円の合計一億二、七一〇万一〇〇円を支払っている。

残りは約二億一、〇〇〇万円の延滞税、重加算税、過少申告加算税である。

被告人の公判廷に於る供述によれば被告人は保釈で出て来た後、自己及び妻弘代名義の預貯金・債権等約三億円全部をはたいて税金の支払いに充てゝきた。(残り一億円強は霜田・浅井らに関する税金の環付分で充当)

又原審弁論終結後所有農地等を処分して右の通り税金を支払っている。

残税金も本年秋迄には支払う予定でいる。

その原資は今後とも被告人及び妻弘代名義の農地等を処分して支払う外なく更に売却方を進めている。

被告人等は約五千坪の農地等を所有しており、仮に全部を坪三〇万円で売却すると約一五億円となる。しかし基礎控除の二千万円を除いて、総合課税となり累進課税の為、譲渡益の約七五%位の税金を取られることになるが、もとより覚悟のうえで残税金を必ず早期に払うと被告人は公判廷で固く誓ったし、現にその通り実行している。

八、重加算税と罰金について

重加算税・過少申告加算税と罰金との関係について、最高裁判所が右両者はその趣旨・性質を異にするものであるから、重加算税の他に罰金を科しても憲法第三九条に反しない旨判示していることは弁護人も承知している。

しかしながら、どちらも脱税行為に対する制裁であって、財産的苦痛を与える点では共通しており、実際的感覚では二重制裁の感じを免れない。

本件の重加算税・過少申告加算税は合計すると一億一、九八八万二千円である。被告人等は前記六で述べたように預貯金類は全くはたいて法人税の全額を払った。その後前述の通り所有農地を処分して、事業税、県民税、市民税の全額を支払った。残っている重加算税・過少申告加算税・延滞税、約二億一、〇〇〇万円を支払う為に所有している残農地等の全不動産を処分する予定でいる。

しかも処分しても譲渡代金から譲渡税と残税金を支払えば手元に残るのは僅かである。そのうえ、被告人秋元清の当公判廷に於る供述によれば、被告人秋元産業(株)不動産部は秋元清の連帯保証のもとに約四億六千万円の借入金があり、その返済を迫られているので、手元に残った金も全部支払いに充てなければならないことになる。その結果、被告人は昭和三七年に結婚して一念発起し、以来馬車馬の如く働き今日迄営々として築いてきた財産の全てを失うことになる。

こゝで考えて載きたいのは、被告人等は霜田・浅井の二人に対し約一億六千万円の税金を支払ったが、その内約六千万円は還付されずそのまゝ徴収されてしまったことである。(弁第二六号証)

被告人等が前述のような方法(実際に小遣いをやる方法)の脱税をしなければ国の方も徴税権すら発生しなかった金で、国としてはこの分余計に税金が入ったのであり、被告人等にとっては重加算税の外に、六千万円の罰金を払ったのと同じ結果である。

その外に、霜田・浅井の両名に対し、実際に一億六千万円以上の金を支払っている事実も御考慮戴きたい。

被告人等は既に十二分に脱税がいかに割に合わないかを骨身に染みている。このうえ重い罰金を科すのでは苛酷すぎるではないか。

九、被告人等の反省について被告人等は前記七で述べた通り預貯金等の全てを吐き出し、更に長年に亘って築いてきた全財産を投げ売って、早い機会に残りの税金を支払う覚悟であることを誓い、深く反省している。

被告人秋元清は戸田市で生まれ、地元の国民学校高等科を卒業後、家業の農家等の手伝いをしていたが、証人秋元正男の当公判廷に於る供述並びに前科調書でもわかる通り、若い頃は手に負えない暴れん坊で特に酒が入ると仕末に負えなかった。その頃傷害等で裁判を受けること一一回で刑務所暮しもしている。

ところが、右証人及び妻弘代の当公判廷に於る供述によれば、昭和三七年の結婚を機会に一念発起し、酒もタバコもぷっつりと断ち、不動産の仕事一途に骨身を惜しまず働き通してきたのである。その姿を見て地元の人達は、あの暴れん坊が素晴しく立直ったと驚き、諸々の会合の席で生きた教訓としてよく引合に出される程であった。

我々弁護人も様々な被告人と接してきたがこれ程の立直りをする人はめったに出会わないものである。

偶々配偶者に恵まれ、母親の慈愛に温かく見守られたとはいえ、その意思の強さと努力には敬服するばかりである。

この事件は新聞に報道され、又本人は勿論のこと義兄高木一男・弟の秋元茂治も浅井・霜田らと一諸に逮捕され、秋元一族及びその周囲に与えた打撃は筆舌に尽し難いものがある。

更に、被告人が保釈で出た後は取引銀行である埼玉銀行から取引を断られ、逆に借入金約四億六千万円の返済を迫られ、肝心の不動産取引も、周囲が警戒してなかなか取引に応じようとしない状態になってしまった。

検察官は新聞報道され、社会的関心を引いたのだから脱税はソロバン勘定に合わない旨を周知させるべく厳罰に処すべきである旨主張する。

しかし一億一、九八八万二千円の重加算税、過少申告加算税を科せられ、霜田・浅井分の六千万円の税金を還付されず、前述の通り、この際全ての財産を投げ出すのである。それをみれば検察官主張の目的は十分達せられている。

逆に右報道の結果、前述のように周囲から社会的制裁を十二分に受けている。

一〇、宅地建物取引業の免許取消について

最後に、被告人秋元清が懲役刑の判決を受け確定すると、たとえ執行猶予付きであっても被告両会社は宅地建物取引業の免許取消処分を受ける(宅建業法第六六条三項)。そうなれば被告両会社は営業継続不可能となり、解散せざるを得ない。人間でいえば死亡宣告の事態となる。

そのうえ被告人秋元清が刑の執行を受け又は受けなくなった時から(執行猶予期間経過時)三年間は新たな免許を受けることが出来ないし、別法人を設立することも出来ない(同法第五条一項二号・三号)。

原審の判決通り確定すれば最低六年間は不動産業を営むことは出来ないことになる。現在五〇才の被告人にとってはもはや永久に不動産業が出来なくなるのと同じことである。しかも被告人は不動産業は大学生だがその他のことは小学生並みだと回りの人からも言われ、本人も自認し、この仕事一途に歩いてきて他の職業を殆んど知らない。

全財産を投げ出したうえ、会社も潰れ、本人自身も不動産業が出来なくなるのでは、懲役刑の判決はそれがたとえ短期且つ執行猶予付であっても被告人にとっては死刑の判決に近いものである。

過去に於ても不動産業者の脱税事件で、免許取消しの点を考慮し懲役刑の併科をしなかった実例がある(京都地方裁判所昭和四九年六月二五日判決)。

是非ともこの点を考慮して戴き被告人秋元清に対しては罰金刑に処することを切望する。

一一、以上一及一〇の諸情状を御勘案のうえ原判決を破棄し、寛大なる判決を賜りたく上申する次第である。

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